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counseling times

カウンセリングタイムズ

頑張ることをやめたその先にあるものは?

 

頑張らないとは?

 

このブログでも、度々出てくる言葉「頑張ることをやめる」「いい人をやめてみる」

疲れた自分に鞭を打つように、今を生きている人がいるかもしれません。

 

しかも、自分ではその鞭になかなか気付かずにどんどん追い込んでしまっていることもあります。

 

私はまだまだ頑張らないと。

自分は何も出来ていない。

もう誰かのために優しくするのは疲れた。

他人のタメにいい人を演じて笑っているのはもう嫌だ。

親のために生きるのはやめて、自分の人生を生きていきたい。

仕事くらいまともにやらないと。

 

こんな言葉が頭に浮かんできた人もいるかもしれません。

誰かのために何かをしてあげること。

それがある時には喜びになり、ある時には苦痛や我慢になります。

目の前にある課題に取り組むこと、(それは育児、家事、仕事、会話、etc)それがある時には自分の楽しみややりがいになり、ある時にはストレスにもなります。

 

行動は同じことをしているようでも、タイミングや相手によってはあなたに心にもたらす結果には大分違いがありますよね。

 

自分に優しい選択をしていくこと。その本当に意味とはどうゆうことなのでしょうか?

 

師匠が最近教えてくれたことです。

一番最初の行為は、それが誰かを愛する気持ちから生まれた行動なのに、なぜ今となってはあなたを苦しめる行動になってしまったのか?

単純に《いい人をやめてみる。頑張ることをやめてみる。》その言葉で終わらせるのではなく、あなたの喜びとなっていた行動が、あなたを苦しめるようになったのか?

それを立ち止まって考えてみる、向き合ってみることが大切なことじゃないのか!?

 

そうですよね、

母親の愚痴を聞いてあげるのも、最初は母親の気持ちを理解してラクにしてあげようと思っていたかもしれません。(しかし、今ではいつも母さんは愚痴ばっかりとなってしまっている)

誰かのタメに何かをしてあげることが嬉しかった(でも、今は人のために行動することは自分を我慢させてしまう行動になっている)

 

これは一つの例えですが、

なぜこのような転換が起こってしまったのか?

 

そこと向き合っていくことで、見えてくるものがあるかもしれません。

 

 

あなたがお母さんの愚痴を聞いてあげたかったのは、お母さんに笑っていて欲しかったからでしょうか?ラクになって欲しかったからでしょうか?

 

 

あなたがどんなに疲れていても、子供のために、彼のためにご飯を作っていたのは、皆の笑顔を見たかったからでしょうか?元気にしてあげたかったからでしょうか?それとも自分を認めて欲しかったからでしょうか?

 

 

あなたの喜びや優しさからの行動が、いつしか我慢の行動になっていってしまう。

《頑張らない》とは、もう一度その行動に《我慢》ではなく、あなたの喜びや優しさを繋げ直す作業なのかもしれません。

 

 

誰かのために一生懸命になることも、

自分のために一生懸命になることも、

それがあなたの苦しみや痛みに繋がるのではなく、喜びや優しさに繋がっていくこと。

 

それが頑張らないことの本当に意味かもしれません。

大好きな食べ物を我慢しながら食べる、好きな音楽を頑張って聞くという表現はおかしいですからね。

 

あなたは何を好きになることが出来れば、今の人生を変えることが出来るでしょうか?

 

 

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