存在そのものは否定されることはないこと
僕が心理学を学んだ先生の好きなエピソードがあります。
これは「本当の気持ちはちゃんと相手に伝わる」ということを教えてくれるエピソードかもしれません。
その先生は、
「そのままでは世に出すと心配な生徒達」がいる学校で先生をしていたそうです。
その表現がおもしろかったので、そのままの引用してますが、やんちゃな生徒が多い学校だったそうです。
そこに毎日学校に遅れてくるし、禁止されているバイクで通学をしてくるやんちゃな生徒がいたそうです。
他の先生達は、遅刻をやめさせようと、バイク通学をやめさせようと
頭ごなしの説教を毎回していたそうです。
それでも彼は聞く耳も持たずに、相変わらずな毎日を過ごしていました。
ある冬、その先生の授業の日に、
授業が始まっている教室の扉を開けて、彼はいつものように遅刻して来ました。
しかし、その先生は
「おはよう!遅かったから心配したで、はよ座り、そんなところ立ってたら体冷えるで!暖まり!」
と自分の息子を心配するような口調で言ったそうです。
すると毎回のように他の先生にされているように怒られると思っていた彼は、
戸惑ってしまったのか
「意味わかんねぇよ」とつぶやき少し照れながら、席に座ったそうです。
でも、それから彼は、その先生の授業は遅刻することなく、バイクも学校まで来ることはせずに、近くの駐輪所に止めてから来るようになったそうです。
たった少しの変化かもしれませんが、彼はその先生を心配させないように彼の中で出来るだけの努力したんですね。
いくら他の先生が彼の行動を直そうと説教しようが彼は変わらなかったのに
たった一声、彼の体を心配した本気の気持ちの声が彼の行動を変えたのです。
私たちは、自分の行動や、やり方、振る舞い方が間違っていた時に、
同時に自分の存在を否定してしまいます。
でも、どんな振る舞いをしようが、
私たちの存在そのものは否定されることはありません。
先生が彼の存在そのものの価値を見てくれたからこそ、
彼に変わるきっかけを与えられたのではないでしょうか?
私たちは間違った行動ややり方をやってしまうことがあります。
想いとは違い、自分や相手を傷つけてしまうことがあります。
そんな時に、その行動だけをみるのではなく、
「自分そのもの価値」「相手の存在そのもの」を見てあげることが
大切なのではないでしょうか?