茶碗蒸しと定規のコラム
死ぬ前に何を食べたい!?
最後の晩餐というワケではないですが、
好きな食べ物を聞く時にたまにこう質問されることがありますよね。
僕はまっさきに『茶碗蒸し』と答えます!
ラーメンではないんですね。(笑)
なんかね〜、ラーメンは死ぬ前に胃がもたれそうだから(笑)
そこはさらっと消化もしやすく、
胃にも心にもやさしい「茶碗蒸し」です。
いや〜何を言いたいかというと、
美味しい茶碗蒸しを食べてきました。
口に入れた瞬間に玉子がふわ〜っと消えて、
出汁の旨味が口に広がります。
出汁のいい香りが鼻から抜けていきます。
食べるのがもったいなくらいで、一番最初に出てきたのですが、最後まで少しずつちびちびと食べながら、テーブルの上に残っていました。
福岡に繁華街の片隅にある小さなお店で、
すごく丁寧に仕事をされていて、
「この茶碗蒸しすごく美味しいですね!?』
そう店主に言うと、目を合わさずに会釈してくれました。
どこか口下手なのか?昔ながらの職人気質を感じてさらにこのお店が好きになりました。
昔から職人という言葉が好きでした。
その道を極めた人のことを様々な言い方をします。
プロ、達人、名人、エキスパート、、、
その中でも、「職人」という言葉にグッとくるんですよね。
NHKのプロフェッショナルなどで、
この言葉が使われているとグッとテレビを見つめる目に力が入ります。
マニュアルに載らない、
言葉では言い表すことの出来ない、
長年培っている経験だけがなせる技を持っていそうで、
そこに憧れがあるのかもしれません。
心の感覚も言葉にすることだけに囚われない
心の感覚も言葉に頼りすぎるとうまく伝わらない時があります。
僕は詩を書くので、同じ意味の言葉を何日も考えたりします。
口に出した時の響きや、字で書いた時のバランス。
人にとってはそれでいいんじゃない!?
と思うことでもずーっと考えてます。
言葉にもどこか匂いや温度があるような気がします。
誰かに想いを伝える時にあれこれと、正しくうまく伝えようとして、
いろいろ言葉の意味に捕われてしまうことがありますが、
それ以上に伝わるものがある時があります。
なかなかうまく説明出来ませんが、、、、。
言葉は想いの乗り物です。
想いを届けるのであって、
言葉はそれを乗せて運んでいくのノリモノです。
乗り物にこだわりすぎて、
その主役である想い(気持ち)が置いていかれることもあります。
「ものを想う」「詩を書く」という作業していると、その不思議な感覚に陥りそうになります。
あくまでも言葉は乗り物であって、
想いが主人公です。
「バカ」といって、好きと伝わることもあるのです。
「好き」といって、傷付けることもあるのです。
茶碗蒸しから、こんな話になるとは思わなかったですが、
言葉も、職人の技も、
定規でははかることのできない繊細な感覚があります。
杓子定規という言葉がありますが、
あいまいさがあるからおもしろいのです。
繊細さがあるので、美しいのです。
時にはそれが悩みになり、壁となり、邪魔になるのかもしれません。
しかし、世界や言葉の曖昧さを認めた瞬間から、
今まであなたの定規からはみ出ていた想いを救い出せるのかもしれませんね。
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