いつでもシナモンロールとコーヒーを
今日はこの雑誌を買ってパラパラと読みふけっていた
自分の20歳の時は何をしていいたのだろう?
ちょうど、初めての詩集『桜、鳴り響く』の出版に向けて一人東京の出版社に出向いていった頃だ。
慣れない東京の街で、出版社の近くに宿を借りて、装丁や編集などの打ち合わせしていたことが懐かしく感じる。
先日、「私の息子が学校に行かないんです。将来ダメな子になってしまいそうで、、」とあるお母さんから言われた。
僕も学校に行ってなかったので、
「僕も学校に行ってなかったけど、今はなんとなく幸せにやっていけてますよ。
お母さんの心配の気持ちも分かります。僕も決してラクな道ではなかったけど、ダメな人生ってワケでもないですよ。苦い想いをする時もあるけど、決して幸せじゃないってことじゃないですよ」
と言ってあげたのだけど、そのお母さんは納得していないようだった。
《学校に行かないとダメになってしまう》というのはある意味《足が速くないから女の子にモテない》と悩んでいる小学生みたいな感覚。
別に足が速かろうが、遅かろうが、素敵な異性と恋に落ちることは出来る。
でも、限られた小学校という世界の中では、「足が速い」ことは絶対的な基準だと思い込んでしまう。
自分の小学生の時もそうだった。
20歳の頃は食費を削って流行のブランドの洋服を買って大人の仲間入りした気持ちになっていた。
今年30歳になるのだけれども、
基本的な生活のスタイルは変わっていない。
でも、当時思い描いていた「金を稼いで、いい車乗って、有名になって」みたいな想いはどこかに消えてしまっている。
20歳の僕の幸せの定義は、雑誌やマスコミで作られたギラギラをした世界だったんだろう。
今も金持ちってワケではないけど、
好きな時にコーヒーが飲めて、甘いシナモンロールを食べられる。
決してすごい贅沢って感じではないけど、
人生で一番幸せなだなって思える時間でもある。
そんな瞬間が積み重なって、きっと人生がもっと好きになる気がする。
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