鎧を着たまま湯船に浸かる武士
僕はお風呂《湯船に浸かること》が好きではない。
その理由をずっと、湯船に使っている間にすることがないからだと思っていた。
子供がするように、
『肩まで浸かって100数えるまで上がったらダメだよ!』
と言われたらその任務を完了出来るかは自信がない。
湯船に浸かりながら本を読む人もいるけれど、
それならお風呂から上がってソファやベットで読んだ方が、本も湯の蒸気にさらされることもなく、湿り気をおびる事がない。
しかし、先日乗り気ではなかったけれど、日帰りの温泉に連れていかれて気付いたことがある。
湯船に浸かってすることがないので、嫌いだったのではなく、
熱い湯に浸かってほっと緊張が解けてしまうのを嫌がっていたようだ。
その日、忙しい仕事の合間に向かった温泉の熱い湯船に浸かった瞬間、
体の力がすべて抜け出てしまった気持ち良さに、そして今までこんなにも肩に力をいれて生きていたのかとびっくりした。
それまでも、日常的には自宅の湯船に浸かったり、温泉にいくこともあったのだけれど、この強烈な感覚は初めてだった。
その昔、刀一本で命の取り合いをしていた武士は、お風呂に浸かるのを嫌がる人が多かったのを聞いたことがある。
武士は生きるか死ぬかの緊張感が、ほどけてしまうことを怖れていたようだ。
現代では、刀で命のやり取りをすることは滅多に無いが、
言葉や行動で、ココロを削られることはある。
命の削り合いではなく、ココロの削り合いを現代の世の中においてやってしまっているのである。
僕は、そのココロを守るために張りつめた緊張感が解けてしまうのが怖くて、
自分を安心させる環境におくことが出来ていなかったようだ。
そう鎧を付けたまま湯船に浸かるようなもので、
肩の力を抜く事なんて出来ない。
自分が傷付かないように守るためには、
常に世の中を危険区域として、誰かいつか自分を傷付けるものとして、
緊張が必要になってしまうのだ。
しかし、風呂に入っている間に傷付くことなんて、
濡れた床で滑って転ぶくらいのことしかない。
僕も知らぬ間に肩に力を入れて生きてきたようだ。
そのことを自覚すら出来ないのだから、これからは温泉にたまには通って、強制的にココロの鎧を下ろしていこう思う。
ココロの鎧を外せる時はいつなのか?
一人で自宅に居たって、鎧を付けたままの人もたくさんいるだろう。
ひとつでも、1秒でも、
ココロの鎧を外せる場所を知って行くことで、
この世を生きるのに、常に鎧なんて着込まなくていいことを知るのかもしれない。
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