嫌われることに怯えてしまう時は、、
すべての人に好かれることは出来ない
自己啓発本や人間関係についての本、あるいはビジネス書などで、上に書いてあるような言葉が書かれているのを見かけます。
主旨としては、
‘すべての人に好かれようとしたら、みんなに気を使ったり、周りに合わせたり、そのうち自分がなくなってしまい疲れて果ててしまうよ。みんなに好かれようと頑張りすぎる必要はないです’
ということだと思います。
【すべての人に好かれることは出来ない】
僕はこの言葉の逆の意味もあると思ってます。
それは、
【すべての人に嫌われることも出来ない】ということです。
すごい繊細な部分の表現になるかもしれませんが、
【すべての人が私のことを嫌っていると思い込もうとする】ことや【すべての人が私のことを嫌っているから、私もすべての人間が嫌いだ!と思いたい】ということは出来るかもしれません。
しかし、
【すべての人に嫌われること】は出来ないのではないでしょうか?
僕は小学校の時に、厳しい先生からいじめを受けて、僕だけ一人教室に入れてもらえないという経験を味わいました。
その時に孤独というか、孤立というか、
寂しさと、‘もしかしたら自分が何かいけないことをしたのか?’という思いに窮屈に押し潰されるような気持ちになりました。
あの時に、そしてあの時から、
【自分は人に受け入れてもらえない。】
そんな十字架をしばらく背負っていた気がします。
【すべての人に嫌われる】【すべての人は裏切る】と思ってしまっていました。
というか、そう自分に暗示をかけ続けていたと言った方が正解でしょうか。
ひとつの地域の、ひとつの学年の、ひとつのクラスの中の出来事。
今思えば、世界中の全ての人というには、少な過ぎる人数の集団です。
しかし、当時はその教室は僕の中では世界の中心でであり、全てだったのです。
だから、僕は
【世界は僕を嫌う】と思い込んでしまったのです。
もしかたら、同じような経験をされて、同じようにそう思ってしまった方やそこから抜け出そうと葛藤されている方もいるかもしれません。
だからこそ、あえて誤解を恐れずに言いたいのです。
すべての人があなたを嫌うことは出来ません。
この言葉が、
自分の心をキツく握りしめて、自分を小さく窮屈に孤独な世界に追いやってしまっている過去の痛みから解き放たれるきっかけになればいいと思ってます。
みんな俺を裏切ったじゃないか?
私を笑ってたじゃない?
誰も助けてくれなかった
そんな想いがまた込み上げてくるかもしれません。
それでも、何度も自分に言い聞かせてあげて欲しいのです。
‘私はすべての人に嫌われることはない’
もし出来るとしたら、
「過去の痛みを使って、すべての人を嫌いになろうする」ということです。
しかし、それはあなたの痛みに釘を打ち続けることでもあります。
すべての人を嫌いなる必要はないし、痛みを持ち続ける必要もありません。
自分が愛されることを、もう許してあげませんか?