『喜ばされ待ち』の行列から
僕たちは、喜ばされるのを待ってしまう時がある。
誰か俺の人生を楽しくさせて、、、
誰か私の人生を幸せにさせて、、、
それが家族であろうが、兄弟だろうが、パートナーだろうが、先生だろうが、会社だろうが、国だろうが、、、、
『喜ばされ待ち』の列に並んでしまう。
この列は度々、『理解され待ち』『愛され待ち』の列など名前を変えていく。
名前がどのように変わろうが、列に並んでいると、いろいろと不満が出てくる。
私の順番はまだか⁉︎
あんなに待ったのだから、さぞ素晴らしいものがあるに違いない!!
ずっと待たされている!
しかも、この列に並んでいるからといって、必ずしも自分の順番がやってくるワケでもない。
ラーメン屋の行列のように、自分の直前でスープが売り切れてしまうこともあるし、何よりもやっかいなのは、自分よりも後に並んでいるように思える人々に先を越されるなんてものが平然と行われる。
割り込み自由で、こちらがいくら不満の声をあげても、それは届かない。
先日、知り合いのコーヒーショップが《夏祭り》なるイベントを開いた。
いくつかの出店が出ていて、コーヒーを飲みながらヨーヨー釣りや射的など楽しめるつくりになっていた。
その出店を運営している人達は、普段は別の仕事をやっていて、この《夏祭り》のために何ヶ月も前から全て手作りで準備していた。
仕事のない休日や平日の夜に集まっていた。
このイベントに参加していた人からの声で1番多かったのが、『来年は私達も何かお店を出したい!』だった。
出店はもちろん手作りだし、儲けなどない。
時給にしたらマイナス何百円にもなるかもしれない。
それでも今年出店した人達は本当に楽しそうだった。
それを見て、夏祭りを楽しみに来ていたお客さんも、楽しむ側から楽しませる側へと興味を抱いたようだった。
人は誰かを喜ばすことが好きなんだ。
そう改めて気付かされた。
もちろん同じように苦労するかもしれないし、大変かもしれないが、
『喜ばされ待ち』の列から外れるのも悪くない。