小さなことに大きく感謝する。
先日、母親と久しぶりに2人で食事に行きました。
数ヶ月に一度、このような機会があるのですが、食事会までの間に起きた出来事をひたすら母親がしゃべるイベントです。
親父のこと、おばあちゃんのこと、ヨガのレッスンのこと。
僕はそれを『うん。うん。そうなんだね〜』とただ頷いてます。
ひたすらにしゃべるので、前回の食事会で話した内容を繰り返し話してしまうことも多々あります。
『○○がね〜、あれでさ〜』と何度も聞いた話を『うん、うん』と最後まで聞いて、
『その話、3回目だよ』と言うと、『いや、最初に言ってよ〜、うんうん聞かないでさ』
そんな、どこかの家庭でも、ごく普通に繰り広げられている会話をしてます。
母親は、指先を揉みほぐして血流を良くするマッサージをしているのですが、(施術する方)
先日、ハードワークから身体を壊して余命を宣告された方が母親の知り合いの紹介でやってきたそうです。
その方は男性で、
指をマッサージする母親の姿を見て涙が溢れてきたそうです。
男性の指先をゆっくり温めながら揉みほぐし、
『今まで頑張ってきたね〜、えらいね〜』
『お利口さんだったね〜、ちょっとゆっくりしよね』
『ありがとうね〜』
と一生懸命、指先に声をかける母親の姿に驚いたようです。
『今まで自分の身体に感謝したことがあっただろうか?はたまた、指先に話しかけたことなんてない。
俺がこれまでやってこれたのは、この指先で地面を踏ん張ってきたからだ、、、』
その気持ちを母親に伝えながら、ぼろぼろと涙をこぼしたようです。
第三者から見たら不思議な光景でしょうね。
指先に話しかけるおばちゃんと、涙するおじちゃん笑
《感謝して生きる》
それは簡単なようで難しいようで。
しかし、見つけようとすれば自分の指先にも感謝出来るようです。
母親はこのマッサージをボランティアでやっています。
『まだまだ実力不足だから、、』
『私は商売が下手だから、、』
そんな理由から、口コミでご縁のある方にマッサージをしています。
そんな中で、出会う人々、マッサージする人を元気にしたいという想いから、気付いたら指先に話しかけていたそうです。
何も出来ないという壁にぶつかったからこそ、感謝という答えに出会ったのでした。
いつか、その壁にぶつかる時が来たら、
感謝という答えを見つけだしたいものです。